戦没学徒記念若人の広場(現・若人の広場公園)
丹下健三
淡路島に建つ、巨匠・丹下健三設計の平和を願う施設。
淡路島の最南端、福良湾を見下ろす大見山の山頂に巨大な彫刻作品がそびえたつ。その眼下には鳴門海峡をまたぎ淡路島と四国・徳島を繋ぐ「大鳴門橋」を望む大パノラマが広がるーー。そこにつくられた建築物が、丹下健三が設計した「戦没学徒記念若人の広場」だ。竣工は1967年(昭和42年)。1964年東京オリンピック会場のひとつ国立代々木競技場を設計し世界から高い評価を受け、1970年開催の大阪万博では総合プロデューサーとしての仕事が始まる、丹下の最盛期といえる期間に完成した作品である。しかし、この建物は完成当初、丹下自らの意志で建築雑誌などで紹介されず、歴史の中に埋もれた丹下建築として知られている。
この施設は、太平洋戦争中に軍需工場などに動員され、空襲などで命を落とした動員学徒(今でいう中・高校生)のことを後世に伝え、また慰霊する施設として計画されたものである。発注者は「財団法人動員学徒援護会」。募金委員会委員長に当時の内閣総理大臣・岸信介がつとめるなど、政治的な意味合いをもつ組織だった。当初そのような背景がある団体とは知らず設計を引き受けた丹下だったが、竣工直前になってそれに気づき、竣工式典を欠席、一切の発表を控えた、という経緯がある。
戦中・戦後の暗い影を引きずる施設だが、建築としての完成度は高い。現地を訪れると、まず駐車場に車を止め、そこから急な坂道を上る。すると城壁のような石垣をまとった建物が現れる。さらにその脇の道を通り階段を登りきると、目の前に瀬戸内海の大パノラマを望む広場にたどり着き、鉄筋コンクリート製の記念塔を正面に望むことができる。尾根づたいに200mほど進むと記念塔の足元にたどり着く。その高さは25メートル。青空に鋭く突き刺さるような、迫力ある造形だ。
石垣をまとった建物は展示棟で、事務室のほか、当初展示スペースには動員学徒の記録や遺品などが展示されていた。しかし90年代に入ると財団の財政難や1995年の阪神淡路大震災で被害を受け施設は閉鎖された。その後、恒久平和を願い市民が憩える公園として再整備され、2015年に開放されている。展示棟にあった資料や展示品は財団から立命館大学国際平和ミュージアムへ寄贈され、現在は空っぽの空間だけが広がっている。洞窟のようなコンクリート打ち放しの空間は、美しさを越え、ある種、神々しくもある。まるで宗教建築のようだ。心を静め、歴史を振り返りながら訪れたい建築である。
兵庫県南あわじ市阿万塩屋町2658‐7
開園時間9時~17時。無休。入園無料。
現在の名称は「若人の広場公園」。駐車場は一般車27台駐車可。
https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/soshiki/kensetsu/wakoudonohirobakouen.html
(南あわじ市のホームページ)